[2006/8/22(火)] 今頃の時期というのは、自分が小学生の頃は夏休みの宿題に追われていた頃だったような気がします。当館へのお子様連れのお客様もまた少なくなってきました。 以前から読みたいなあと思って読めていなかった、司馬遼太郎さんの「街道をゆく 因幡・伯耆のみち」を読むことができました。楽しくてあっという間に読めて、これだったらもっと早く学生時代に読んでいたかったなあとなんだか悔しいような気持ち。平山郁夫さんのエッセイのなかで「平城京の街並みというのは当時の日本人にとったらシルクロードの世界満載の景色で、とてもオリエンタルな当時最先端の世界だったと思う」というようなことが書いてあって、なるほどなあ奈良にまた行ってみたいなあと思ったこともありました。日本という国や自分の住んでいる土地を知ろうとするときには、それが文化でも言語でもなんであっても、ルーツを辿っていくことで見えてくる現在像というのが確かにあって。司馬遼太郎さんの著作に触れるたびにいつもアイデンティティについて考えさせられます。 まずは自分の住んでいる土地についての巻がとっかかりでしたが、これからどこか旅行に行くときには、「街道をゆく」のその土地バージョンのものを読んでから街を歩いてみたいなあとも思えました。 写真は、当館の街側客室から見た米子市街の風景です。市内はそんなに高い建物はなくって、市街地を少し離れると田園地帯が至るところにけっこう壮大に広がっている住みよい町です。皆生温泉へお越しのお客様は、是非一度、この著作をご覧になってから来られるのも一つの楽しみ方かもしれません。 |