山陰観光ガイド
商都米子・町の移り変わり江戸中期から明治・大正にかけては、米子港を中心として海運業が盛んになされ、北前船なども立ち寄って、加茂川は運送路となって艀が往来し、川沿いに蔵が建ち並び、後藤家や鹿島家などの豪商の屋敷が集中して、港に近い下町は「商都・米子」の顔となりました。大正から昭和にかけて鉄道が敷設され、物流の拠点は米子駅の周辺へと移り、港から駅前へ長いアーケード商店街が形成されました。やがて昭和三十年頃からは高度経済成長の波に乗ってモータリゼーションが発達するとともに、商業地は次第に郊外へと広がってきました。 ■遊悠施設番号
3086
■マップコード
■関連HP
▲遊悠MAPモバイルTOP ▲米子まち歩きモバイルTOP ▲神仏の通ひ路ルート ▲水辺ルート ▲施設名一覧で検索 ▲山陰観光ポータル 中海・宍道湖・大山圏域観光連携事業推進協議会 |